工藤めぐみ

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2016.08.05

工藤めぐみさん、リオ・デ・ジャネイロオリンピック開会式出演おめでとうございます!

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19歳で単身ブラジルへ
人生の転機となった海外へ踏み出した一歩


ブラジル リオ・デ・ジャネイロで開催されるサンバカーニバルは、単なるパレードではなく、各チームが生活を捧げて準備をし、優勝を競い合うコンテスト。メッセージ性や芸術性も問われます。1チームが4000人以上で構成される中で「パシスタ」と呼ばれるトップダンサーとして優勝を経験した唯一の日本人、工藤めぐみさん。その快挙を成し遂げた軌跡には、19歳の夏の大きな一歩がありました。単身ブラジルへ渡っての6か月間のダンス修行とリオの街での時間がダンサーとして人としても大きな経験に。 2015年のカーニバルでもトップチーム「サウゲイロ」のパシスタとして準優勝に貢献、日本では数々のショーに出演されると共にダンススクールで後進の指導にあたる工藤さんにお話しをうかがいました。

※このインタビューは2015年7月に行われたものです。インタビューの続編を2016年10月に掲載しました。


母と始めたサンバ

工藤さんの出身地、神戸はブラジルと縁が深く、1908年(明治41年)にブラジルへの第1回目の移民780余名を乗せた笠戸丸が神戸港から出航した歴史があります。また、リオ・デ・ジャネイロと神戸は姉妹都市になっています。神戸で育った工藤さんがサンバに出会ったのは9歳の時でした。

「母と一緒に習い始めました。先生は元宝塚でサンバをやっていた方で、娘さんはクラシックバレエを教えられていたので、サンバとバレエを両方習っていました。練習や発表会では、白いバレエの衣装からすぐにサンバの衣装に着替えてウィッグを付けて踊っていました。バレエは全てのダンスの基礎になるので、回転の軸など基礎があると全然違います。ブラジルへ行った時も、その点を褒められたので、バレエもやっていて本当に良かったと思いました。」

19歳、初めての海外渡航でリオへ

サンバを続けるうちにブラジルへ行きたいという思いが強くなっていった大学1回生の夏、工藤さんは一歩を踏み出しました。

「子どもの時からのお年玉や高校生の時にしたアルバイトなどでお金を貯めて、大学へ入った年の後期を休んで半年間ブラジルへ行くことにしました。入学してすぐに先生にそれを伝えると『工藤さんはなんで大学に入ったんかな?』と言われましたが(笑)、教室を開こうと思っていたので、教えるからには本場のサンバを知らなければならないと考え、10代の時にできることとしてその時に行く決心をしました。」

渡航を決めた後に不安な気持ちが出てきたことがありましたが、背中を押してくれたのは母の妙子さんでした。

「初めての海外、初めての一人暮らしになることを考えると、今までずっと一緒だった家族と離れて、言葉も通じないので怖くなり、『行くの止めようかな』とふと車の中で言ったら、母に『何言ってるの、18歳でこれから何にだってなれるんだから、やれる時にどうしてやらないの。私が行きたいくらいやわ。』と言われて、『よし、がんばろう』と思いました。」

 

 

“地球の裏側”ブラジルで初めてのひとり暮らしとはどんなものだったのでしょうか。

「用意されていたアパートに着いて、そこへ一人置いて行かれて鍵の開け方もわからないままひとり暮らしがスタートしました。自分がどこに住むかもわかっていなくて、着いたらそこは貧困地区でした。言葉が通じずにスーパーへ行ってもどうやって買うのかわからない状態でした。英語も通じない地区なのでジャスチャーでがんばりました。インターネットも全然普及していなくて、日本から事前に契約しておいたサンパウロの会社の回線を使ってひとりでダイアルアップ接続をしてつなぐことができたり、何もかも初めての体験でした。はじめのうちは国際電話で家族に電話してよく泣いていましたね。」

「サンバの練習場へ行くのも迎えに来てくれたのは最初の数回で、後は周りの人に聞きながら通っていました。今も親友のジェネビーという子が日本のアニメが好きで、家族ぐるみで親切に色々と助けてくれました。バスは時刻表もなければ、標識もなくて、人が集まって待っているところがバス停なんですが、買い物や練習に行く時にどこでどのバスに乗ったらいいのかなど書いて教えてくれました。」

 

最初は無視されても自分から近づいていくと、日本に興味を持ってくれた

生活するだけでも大変な中、工藤さんはサンバチームの練習に参加し、少数のトップダンサーだけがなれる「パシスタ」として出場を目指しました。

「最初は日本から何しに来たのかという目で見られましたが、片言で『パシスタ、パシスタ』と言ってパシスタのオーディションを受けたいことを伝え練習に参加しました。パシスタになれる人数は決まっているので、私がなるとブラジル人の誰かが外れてしまうため、最初は他のメンバーから無視されたり、踊っている時に押されたりしました。でも、自分から近づいていって、話しかけたり、日本の歌を歌ったり、日本語を教えたりしているうちに日本に興味を持ってくれましたし、遠い日本から来てブラジルの文化を学ぼうとしてくれているんだとわかってもらえて受け入れてくれるようになりました。両親が本番の時にリオへ来るという時もみんな歓迎してくれましたね。」

「本番1か月くらい前の練習の時に靴のサイズを聞かれたので、出ることができるかしれないと思いました。」

SAMBAスペシャルチーム 「G.R.E.S Portela」「G.R.E.S Tradicao」のオーディションに合格し、パシスタとしてリオのカー二バルに出場を果たします。帰国後は大学で半年間の遅れを取り戻し、休学せず4年間で卒業。ダンスの方も「躍動感が全然違う」と周囲から言われるほど踊り方が変っていたそうです。

2008年に再びリオ・デ・ジャネイロへ行くと、別のトップチーム「G.R.E.S. Academicos do Salgueiro(サウゲイロ)」のオーディションを新たに受け、2009年のカーニバルにパシスタとして出場、日本人ダンサーとして初の優勝を経験しました。以後サウゲイロでは唯一ブラジル以外の国出身のパシスタとして出場を重ねています。

 


リオ・デ・ジャネイロについてQ&A

―工藤さんから見てリオの街はどんなところでしょうか?

「危険な所は確かにありますが、行ってみて人がみんな本当に温かいと感じました。大きな荷物を持ってバスに乗っていたら、『持ってあげる』と言われたので最初は『盗られるんじゃないか』と思いましたが、降りる時もみんなが手伝ってくれました。そういうことが日常的にあります。言葉が拙くてもわかろうとしてよく聞いてくれますし、サンパウロなどと違ってリオには日本人は少ないのですが差別を受けることもありません。」

―好きな場所や現地の食べ物はありますか?

「ビーチが大好きで、中でもイパネマビーチが好きです。私の滞在している山の方の地区から見る街の景色もとてもきれいです。食べ物で好きなのはシュラスコとアサイーですね。激しく動くので、お肉を食べてエネルギーを補います。」

―治安の面から気を付けていることはありますか?

「貴金属を身に着けて歩かないことと、服は現地で買って現地に馴染むような服装をしています。携帯電話やカメラも人前では出さないようにしています。」

 


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